定員オーバー


「風邪ひきますよ」

 何か一騒動あったらしい。まばらに群がる人々の隙間から覗く『立入禁止』と書かれたテープ。それらで括られた一区画の中に、現場の見張りだろう点在する特殊武装警察の隊服がいくつか。灰色の空からのったりとした雨水を全身に受けて、ただでさえ重苦しい印象の黒が、より一層沈んで見えた。
 野次馬根性なんか出さなきゃ良かった。
 ひとりの見知った人間が目に入って、妙は少し後悔した。今日は折角仕事から早く上がれたのだから、さっさと帰ってお風呂にでも入って、新ちゃんの作ってくれたご飯を食べて寝ようと思っていたのに。
 逡巡してみてもそのまま立ち去ることは出来なくて、野次馬をすり抜けて妙はその人物の背後から声をかけた。
「風邪ひきますよ」
 頭上からの感触が消えたと同時に降ってきた声に、土方はわずかに首を動かしてその正体を確認する。
「いらねえ。どうせもうずぶ濡れだ」
「傘も取りにいけないなんて、大変なお仕事ですこと」
 拒否されるような気はしていたから、別に嫌味のつもりで返したわけじゃなかった。
 一言辞退を口にしたきり、土方は前を向いて黙ってしまったので、妙もそのまま黙って傘を差し掛けた。
 別に親切を売り込みたかったわけではない。現にいくら近くに寄って傘を差し出しても、2人というのがそもそも定員オーバーだし、しかも相手はそれなりに体格の良い大の男だ。手も足もはみ出ていて、傍目にもあんまり役に立っているとは言い難い。大体が散々濡れそぼったあとだ。
 それはわかっているのだけど。
 突っ立って冷えてきた手を上へ下へと重ね変えながら、我ながら頭の良くないことをしているなあと妙はぼんやり思う。
 ただ、この雨の中身動きもとれず、その場に縫い付けられているのがかわいそうだなと思って。だけど自分は傘しか持ってなくて。
 意味はきっと、殆どない。わずかばかりの体温の低下も防いであげられてるのかどうか。自己満足甚だしい。
「……おい、本当にいいぞ。もうすぐ交代要員が来るんだ」
「もうすぐ来るんなら、居たっていいでしょう」
 何やってるんだろう、私。
 足元にもじんわりと水分が上ってきて、足袋の湿った感触が不快だ。それでももう一度、この男を雨粒の下に晒す気にはなれなくて、暫く立ち尽くしてから、傘の柄をほんの少し前に傾けた。


だからなんで土妙なの?ってきかれても困るんですが。